あまりにも言葉を知らない危機感

昔から本を読むときは本の虫も本の虫、本当に本ばっかり読んでしまうタイプなのですが、最近はあまりにも言葉が覚えられないので、あまり馴染みのない言い回しなんかを毎回メモってるんです。

 

それでそのメモを読了後に見返すんですけど、まあ、当然っちゃあ当然、お話によってその量がまちまちなわけです。この本は10個以内だったな、とか。反対になんかめっちゃあるな、とか。

 

時代背景やらなんやらで増えるのはわかるんです。

改めて芥川龍之介の「羅生門」を読んだときも、なかなかの数になったんです。羅生門って5000文字程度なので、5000文字にしては多いな、と。いやでもそれはわかるんですよ、「鴟尾(しび)」なんて今変換で出てきませんでしたからね。

 

で、最近読んだ現代の話であろう小説で、私が言葉を知らないだけなんですけど、そのメモがとりわけ長くなったものがあるんです。

三秋縋「恋する寄生虫」です。

 

地の文で小難しい言葉が出てくる分には特に何も思わないんですけれど、ちょっと気になる点があったので……。

 

以下普通にネタバレを含みます。

 

 

佐薙って女子高生じゃないですか。

物語の後半の佐薙のセリフにこんな一文があるんです。

 

「紛いものの恋の何が悪いの? 幸せでいられるなら、私は傀儡のままで一向に構わない。」(三秋縋「恋する寄生虫株式会社KADOKAWA

 

ここ、「女子高生が『傀儡』なんて言い回しする????」ってなったんですよね。

 

自分でも趣味で細々と小説を書いていますが、個人的に、セリフってそのキャラクターが言うであろう言葉選びをしたいんです。だから女子高生に「傀儡」って言わせるかなあ、と思いまして。

 

ただ、これがいわゆる一般的な女子高生なら「言わないよね」と言い切ってしまえる自信があるのですが、佐薙の場合は異質なところがあるので。本ばかり読んでいるオタク性すら感じられる女の子なので、「傀儡」って日常会話で使っていてもおかしくないのか……?とも。

 

和泉さんもなかなか「それ日常会話ではあんまり使わない言葉では?」って感じがしたのですが、そちらもまた和泉さんの社会的立ち位置を考えたら、なくはないかな、と。

 

この違和感って考えすぎなのか、それとも敢えてそう書いているのか、どっちなんでしょうね。

 

 

なんかdisっぽくなってますがそういう意図は全くありません。「恋する寄生虫」面白かったです。あの終わり方が特にいいですよね。あれ以上書いちゃったら蛇足になっちゃう程よいラインでかなり好みでした。