『推し、燃ゆ』(作:宇佐見りん)感想
はじめに
このブログを読んでいる方はご存じかと思いますが、私はファンクラブ歴20年を超えるほど推しているバンドがいます。
しかし、
推しがいるのはいいことだ、推し活こそ生活の要だ
とは言えない身です。何故かというと20年以上現代で言う「推し活」をしていて、良い面も悪い面も見ているからです。
そんな私は『推し、燃ゆ』(作:宇佐見りん)を読んでひどく落ち込みました。
『推し、燃ゆ』のあらすじ
高校生のあかりは、勉強もバイトも、普段の生活もままならない。でも、推しであるアイドル上野真幸を推すことに人生をかけている。
そんな上野真幸がファンを殴ったとして炎上した。そこから始まる物語です。
現代の「推し活」
現在ってコロナ禍を経た(終わったとは言えないが)世界であり、だからこそ誰かとつながりたい、みたいな不安定なものが信仰されているような気がします。
「推し活」という言葉に内包されているものはさまざまで、お金を使えば使うほど良いと思う人もいれば、お金よりも創作活動こそが素晴らしいのだと考える人もいます。どちらが優れているとも、悪いとも言いきることはできません。
『推し、燃ゆ』の主人公あかりは、その推しの対象が「お金を使ってあなたの推しをナンバーワンにしてね」という売り出し方をしているためなのか、それとも現代の若者にそういった人が多いからなのか、やはりお金を使うことに抵抗がないように見受けられます。
私が高校生のころ、某アイドルがCDに握手券をつけて販売し、出すCDがことごとく売り上げランキング一位になる現象がありました。
私は当時すでにバンドを推していたので、CDが”おまけ”みたいな扱いになる売り出し方ってどうなの?と思っていたのですが、令和になってもそういう売り出し方をしている人は多いみたいですね。推し活ブームの悪い面の煮凝りみたいに感じられて、少し顔をしかめてしまいます。
実際あかりが推しているアイドルもそのような売り出し方をしていて、それをあかり自身は受け入れている。
完全に青天井というか、ファンの気持ちを測るような売り出し方がもうメジャーなのかもしれません。現在は音楽番組でオリコンランキングを取り扱うこともほとんどなくなり、CDの売り上げがどうなっているかは謎ですが、確実に影響は出ているはずだし、それを若い人たちがなんの抵抗もなく受け入れているということがとても怖いです。
「推しのためにがんばる」はあってもいいと思うけれど、そうやって搾り取られていったらこちらの体力なんてないものだと思われているに違いない、みたいな気持ち。
あかりも推し活のためにアルバイトをしていて、それも「この一時間頑張ればCDが一枚買える」みたいな頑張り方なのに、そもそも向いていない仕事としか思えない。
そういう若い人が今は多いのではないか、気が気ではないです。

「推し活」は「業」
近頃いろんなメディアで「推し活」がテーマとなっています。インターネットも推し活の場だし、テレビではドラマの登場人物が推し活をしていたりします。
現在の「推し活」はそんなに気軽に茶化していいものなのか、『推し、燃ゆ』を読んで考えてしまいました。
あかりは生活すらままならないのに推し活をしている。そして推しが炎上して世間からの風向きは最悪。そこからどんどん悪化していく話を、他人事だと捉えることはできませんでした。
過激な物言いになりますが、あかりが推し活を”業”だと認識しながら、自死という道を選ばなくてよかったと思います。自死を選ぶ能も術もなかった、が正しいのかもしれませんが。
推しが芸能人ならばいつか引退したり、亡くなったりする。それはその人の人生なのだから仕方のないこと。
それを怒りのような形で受け入れるしかない応援の仕方は「危険な推し活の形」だと思います。
推しはあなたの応援を受け止めてくれるかもしれないけれど、あなたの人生に潤いを与えてくれるのかもしれないけれど、あなたの人生に直接かかわるものではない。
あなたと推しは、人生を共に歩むものではない。
これは完全に自戒を込めたものですが、こうやって一線を引いた位置で見ていないと、最悪命に関わります。
最後に
自分の推し活を改めて見直す良い機会になったと思います。
私は活動25周年にもなったバンドのファンなので、これがもっと若いアイドルとか、距離の近い地下アイドルとか、推している対象によってまた読後感は違うのだと思います。
私の読後感は最悪でした。
落ち込みすぎて夜に眠れなくなったほどです。
心を動かされる作品は良い作品なので、まだ読んでいない方は一度読んだほうがいいと思います。
推し活されている方は、特に。
おわり
